無花果の花が散る
始まる前に終わってしまった恋心。
それは歪で、悲しくて、愛おしかった。
それを最期の砦とするくらいには、彼のことを愛していた。
だから、あの時に、抱き締められて。
最期に幸せな夢を見た。
一生の糧に出来ると思うほどに、幸せだったのだ。
「はい?」
思わず出た素っ頓狂な声に、彼女は言い方を間違えたと苦笑した。
「ヤマト准将を送り出すに当たって、少し“付き合って”くれないか?」
「ご下命とあらば」
正しく意味を理解し返すと、そんなものじゃないよ、とカガリは笑う。
彼女の執務室だが、室内に他に人がいないせいか砕けた物言いだ。
「今度、条約締結にあたって下見に行くだろう」
「非公式だがな」
アスランもそれに合わせ口調を改める。
「そこで、キラを引き取ってくれる面々に挨拶でもと思ったんだ。個人的に」
キラはラクスの元へ行くことが決まっていた。
終戦の条約締結が締結し次第だ。
彼女がそれを寂しそうに、だが満足そうに話していたのを思い出す。あれは、宇宙からオーブへ帰還して暫く経った頃だ。
ラクスが正式にプラントで政治に携わる事が決まった日。
豪雨の如く降り注ぐ事務処理と書類の山に囲まれて誰もかれもが目を回していた。
そこにトドメを刺す事態だった。
呆然としたのも束の間、彼らはとても幸せそうにしていて口から出たのは祝いの言葉。
キラが苦しんで、ラクスが支えていたあの二年間が不幸だったとは言わない。
だが比べ物にならないくらいに、いい顔をしていた。
アスランがザフトにいた間に、確固たる絆を得たふたりをほんの少しだけ羨ましく思った。
確かな絆があったはずのアスランとカガリは離れる道を選んだのに、と。ほんの少しだけ。
それを思い出にして、アスランは心から祝福した。
終戦にあたりプラント側の人手不足もあり、一足早くラクスは向こうへ渡った。
あとはキラを送り出すだけ。
オーブとしてやることはやった。
「ずっと助けてくれた“弟”を送り出すんだ。少し我が儘を聞いてくれないか?」
とてもささやかな願い。
政治家として躍進を始めた彼女の、ささやかで難しい我が儘だ。
アスランに叶えない、とい手は無かった。
「“兄さん”じゃなく?」
了承の代わりにいつかのように問うてみた。
「ありえん。あいつが今後多方面に迷惑を掛けると思うと、兄だとは思えないな」
ムスッとしたカガリに笑ってしまう。
「異例中の異例、オーブ軍に籍を残したままザフトに行くんだ。正規の訓練も何もなしに、だ。ザフトの軍規やら覚えるの先だが、今後を考えるとオーブ軍の軍規も頭に入れてほしい」
「……キラもコーディネイターだから」
カガリの言わんとすることに、蚊の鳴くような返事をしてしまった。
プログラミングなどの成果を作り出せる分野はとても強いのだが、どうにも覚える系の勉強は苦手そうにしていたのを思い出す。
決して覚えは悪くないのだ。本人のやる気が出ないだけで。
教わる方も教える方も散々苦労するだろうな、と嘆息した。
「コーディネイターでも馬鹿は馬鹿だ。頭の出来はいいのに、やる気が出ないのは馬鹿だろう」
バッサリ切り捨てたカガリに、剛胆さを見て「成長したなぁ」と現実逃避に走る。
確かにそんな面倒な案件を押し付ける先には挨拶しておいた方がいいだろう。
「俺は案内役、ということでいいのか?」
「頼む。二年間にも世話になった面々が協力してくれるというから、お前が適任だろう」
あそびにいくぞー、と心にもなく伸びをする姿に笑ってしまう。暫く見ていなかった無邪気な顔をしていた。
「ドレスは要るか?」
「一応要るけど、どうせなら私服を新調したいな。ていうか、お前も新調しろ。制服で行くわけじゃないからな」
不信感に満ち溢れた目線に、頭の中の私服を思い浮かべすぐに考えるのを止めた。衣服については何かしらのサービスに丸投げしよう。
「こんな普通の友人や家族のように会えるのが、次いつになるか分からないんだ。だから、悔いのないようにしたい」
カガリの言葉に、今だけ縮んだ距離を思い出す。
彼女とこんな距離でいられる機会も、キラを送り出せばそうそうないだろう。
だから、つい、口が滑った。
「その間だけ、恋人でいてくれないか」
深い琥珀の瞳を瞬かせ、きょとんとしている顔を見て失言を悟った。
「いや、悪い忘れてくれ!」
どれだけ未練がましいんだと歯噛みする。カガリの顔を見れずに思いっきり顔を背けた。
カガリを抱き締めたあの時以降、二人の関係については何も話していなかった。
ただ漠然とひとつの区切りがついたと互いに思っていた。少なくともそう装っていた。
あまりの失態に、顔が赤くなっているのを自覚する。
アスランにとって痛々しい沈黙が続き、突然カガリが笑い出した。
「お前、言うに事欠いて」
最初は行儀よくくすくすと笑っていたが耐えかねたのか腹を抱えて笑っている。
そこまで爆笑されると流石に胸にくるものがある。
「……カガリ」
「悪い、あまりにも可笑しかったから」
特別悪く思っていないのに口先だけで謝られた。
やらかしたのはアスランなのに、なんとなく納得いかなくて眇めた。
ふと、カガリが真顔でアスランを見た。
「……今度は」
言いさして、切なさと慈愛を混ぜた優しい笑みで続けた。
「ちゃんと終わらせてくれ」
その笑みがとても綺麗で尊くて、たった一言が胸を掻き毟る。
嗚呼、どうしたって彼女が好きなのだ。
だからこそ。
「分かった」
今度こそ幼かった想いに別れを告げよう。
最後にもう一度と、アスランとカガリに戻って始めて終わろう。
歪で、何よりも大切だったこの恋を。
「愛してるよ、カガリ」
「ああ、愛してたよ。アスラン」